夜中の台所で僕は詰め碁を解きたかった

小学生ぐらいの時に、買った本で、難しくて一ページも読まない間にギブアップして、成人してからたまたま読み返してみると「なんて良い本だ」と感嘆することがよくある。大人になって改めて取り上げるまでは、途中で辞めたことが結構コンプレックスになっていたりするのだが、時機に至ると、より深い味わいとなって楽しめたりするのだ。

ちっちゃい頃に買った、林海峰の囲碁入門もそんな本だ。 ヒカルの碁ブーム以来、ちらほらと打っているが、それなりにおもしろい。漫画によるブームもあるが、コンピューターが対戦してくれるし、インターネットが常時接続となり、ネット上で簡単に対戦相手を捜せることになったことも大きい。

ネットワークゲームといえば、複雑なMMORPGなどが引き合いに出されるが、20年以上前から存在する仕組み的にはごく単純な対戦型ゲームすら、ちょっとネットに詳しい普通の人たちがつかうようになってきたばかりだ。先に行きすぎているものは、後から来た、先に行くものにどんどん淘汰されて普及する暇もなくすたれていく。掲示板システムといい、広く使われるのは単純で大昔からあるものばかりだ。それすら、フツーの人にとっては目新しいものだったりする。世の中の先端って、案外そんなものなのだ。

さて、帰りの山手線で読もうと、新橋のキオスクで買った週刊新潮を開いて、私は思わず詰め碁のコーナーを見つめていた。私は思った。

「あっ、おっさんだ。この瞬間がオッサンだね」

そうだ。私はおっさんだ。無力で惨めな。 そういえば、いつ頃から週刊新潮をたまに買ったりするようになったのか。おっさんにターゲット されたつり広告におどるオッサン特有の怒りやストレスに話題。それらに見事に惹かれているのか。ビックブラザーの計画通りに、私は年を取りおっさん化し、父と同じく囲碁を打つ。昔から変わらない サイクル。しかし、まさか自分が。おっさんになるのは初めてなのだが、そうか、おっさんとはこういうものか。

三歳の私は、添い寝してくれた父の布団に寝小便をたれた。叱られた記憶もないがなぜ覚えているのだろう。あのときの父さん、より年を取ってしまったね。父さん、また、墓参りにでも行くよ。