温故知新

母親から電話があった。使っていないパソコンをくれという。64の母親は行政の無料パソコン教室に通っているのだ。

「パソコンはあげても良いけど、アニキからもらったやつを持ってるんじゃなかったっけ」

「ワードが入ってないのよ」

「ワープロか。一太郎がはいってんじゃなかったっけ」

「一太郎じゃファイルが開かないのよ。教室で習った年賀状のやつよ」

ああ。そうでしたか。パソコン年賀状を作る人がまだいたんですね。しかしマイクロソフトの行政に対する食い込みもさすがだ。

「それで、オマエのぱそこんにはワードがはいってんじゃないかとおもってさ」

それでソフト買うのが惜しいからハードをもらうのね。

「かあさん。ぼくの麦わら帽子はどこにいったのでしょうね」

「何を言ってるの」

「いや、年賀状つくるなら、専用のソフトが安く売ってるから、そっちの方が便利だよ。今度買って送るからさ」

未だにパソコンで作った年賀状をもらうことはあるが、まるで子供の写真入りの年賀状をもらった時のような鬱な気分になる。というか、子供の写真入りの年賀状を送る人は 、かつてパソコン年賀状を送った人と同一人物な傾向がある。 それはともかく、ほぼ、三年で陳腐化してしまうパソコンで年賀状を作ったら一枚あたりのコストは千円を超えてしまうだろう。それにパソコンで年賀状を作る環境を整えるのってとってもめんどくさい。多分、住所を入力するのに手間取るだろうし、画面はフリーズし、プリンターはうまく動かず、シートフィーダーは詰まり、印刷を合わせるのに何枚も無駄なはがきを消費するのだ。ちっとも役には立たない。かあさん、そんな苦労はさせないよ。つーか、既に苦労はしてるね。若いときの苦労は買ってでもしろと言うが、まだ若いつもりなんだね。

パソコンが世に出てもう二十年以上経つだろう。しかし、未だに初心者が作るものといったら年賀状なのだ。

パソコンを持っていなかったときにやっていたことをパソコンでやろうとしてもほとんどの場合便利にはならない。今までやっていたことは、やり慣れた方法でやるのが一番なのだ。これは、コンピューター導入のほとんどの場面で当てはまる。紙の帳票をつくるのにわざわざコンピュータを使うことはない。実はコンピューターが役立つのはコンピューターが無かったらやらなかったようなことをするときなのだが、これは使っていない人には理解できない。だから、今でも会計パッケージは印刷できるフォームの美しさを競ったり、行政のパソコン教室では年賀状の作り方を教えたりするのだ。

二十年前、私はパソコンで年賀状を作ることをあきらめた。だが、未だにコンピュータは手放せない。

それで、いつ年賀状は作れるようになるのかって? いやだからそれはその。

かあさん、わかりました。ぱそこんを使うより、年賀状を出せる人になれってことですね。